
「マジョリティとは善であり、マイノリティとは悪である」
そう思っている人間がこの世界のマジョリティ(多数派)であり、マイノリティ(少数派)とは常に排除される運命だ。
そして、それに反発──、あるいは追随するように生まれたのがルサンチマンという思考である。
スポンサーリンク
・ ルサンチマンとは
ルサンチマンとはニーチェが提唱した「強者に対して抱く嫉妬や劣等感のようなもの」であり、このような思考をした人間は現在のインターネットでも大量に散見される。
それは「奴隷道徳」とも呼ばれ、他者に依存した弱者の思考だ。そして、マイノリティであった奴隷道徳者たちがコミュニティを生み出した結果が、「過激派ビーガン」「キリスト教」「黒人優遇社会」などである(元々の意味とは若干違うけど、まあ、現代ではそんな感じ)。
・ 逆転したマイノリティは、何ひとつとして許容していない
アメリカ社会は「あぶれた人たち(マイノリティ)を受け入れることで生まれた国」ではあるが、それゆえに、一部の国民の無意識には「マジョリティ(優遇されてきたもの)に対する嫉妬や憎しみ」が根深くある。
現在の黒人優遇社会というのは、その最たる例だろう。
差別をなくそうとするあまり、別の方面で差別が生まれ始めている。ディズニーの異常な黒人優遇や、過激なビーガン的思考はマジョリティに対する嫉妬が悪さをしていると言っても過言ではない。
「新しく生まれたコミュニティの中で逆転したマイノリティ(マジョリティと化したマイノリティ)」は、本来マジョリティ(中核)であった存在を排除し、また新しい別のマイノリティ(弱者)を生み出す。
「クラスでいじめられていた子が、別の場所で弱者となった子をいじめる」という現象に近いものだと思っていいだろう。だからこそ、異常なほど黒人がプッシュされている今のアメリカ社会は歪なのだ。弱者を強者とすり替えることが本当に他者を許容していると思っているのならば、それはとても虚しいことだろう。
・ イジメとは小さな社会の結果であり、マイノリティを許容できない世の中と類似する
「マイノリティを排除する(敵を作る)ことでしか自分とその地位を保っていられない」これは、「クラスで起こっているイジメやイジメを無視している人間」とも似ている。自分とその地位を守ること(マジョリティであり続けようとすること)に固執するあまり、倫理よりも集団を維持する(マジョリティを保ち続ける)ためのルールが優先されているのだ。
「戦争やイジメが嫌い」とわざわざ(聞かれてもいないのに)ツイッターのプロフィールに書くような人間も同様である。
それはとてもいいセリフなのだが、仮想の敵を想定することで自分の身を守っている思考は奴隷道徳そのもの。ツイッターで「戦争やイジメが嫌い」とプロフィールに書いているのにもかかわらず、他者に暴言的なリプライを送るのは、こういった要因によってもたらされる。
つまり、「戦争やイジメが嫌い」とわざわざ公言するような人間は、他者が起こした社会のズレ──。マイノリティを許容できないと公言しているようなものなのである。気づかないうちに「暴力を暴力で黙らそうとしている」というのは皮肉な話だ。
ある方面では虐げられているマイノリティの自分自身が、マジョリティの要素を持った途端に暴力を振るう──。「子は親の背中を見て育つ」暴力を振るわれて、「絶対に自分の子には暴力を振るわない」と思っている人間が、親のような嫌な人間になってしまうのも、それに類しているのかもしれない。囚われているのだ。固定観念に。
・ ちなみに
なぜ、「イジメ・戦争嫌いとプロフィールに書く人間が全く関わりのない人に暴言のリプライを飛ばすのか」というマインドを書き忘れてたので記入。
これは結構シンプルな話なのだが、基本的に、このような文言をプロフィールに書くような人間は理由もなく暴言を吐くことはない。
要は、「不快だから(攻撃をされたから)」暴言を吐いているのだ。
「見たくもないのに嫌なツイートを見てしまった」「偶然見た動画がムカついた」「不快なアイコンをしていた」「過去のトラウマと合致した」のような、攻撃を食らったので反撃をしているだけである。
だから、自分に害のある(不快感を感じさせる)「イジメと戦争が嫌い」なのだ。別に、善人だから「イジメと戦争が嫌い」と書いているわけではない。……まあ、「善人だよ~」ってアピールしたい人もいるだろうけど、基本的には「オレの世界を乱すな、不快にさせるな!」という言葉を暗に書いてるだけだろう。意識しているかどうかは不明だけど、基本的にはそうだと思う。
こういった人間は圧倒的な「保守派」で、好きになったものは(変わらない限りは)ずっと好きだし、友達や家族から見れば凄く良い子に感じるだろう。
実際に悪いやつではないので、注意をするのなら、寄り添った言い方をしてあげた方がいいのかもしれないなと思う。
スポンサーリンク
・ 人はみなマジョリティであり、マイノリティでもある。
「納豆が好き」という人はマジョリティだろうか?
日本ではマジョリティ(多数派)かもしれないが、海外を含めたらマイノリティ(少数派)だ。
納豆は臭いし、ネバネバしてるし、気持ち悪いし、納豆菌は強すぎて他の菌類を破壊してしまうから、世界という視点で見たら「納豆を滅ぼした方がいい」と思ってる人の方が多いのかもしれない。
だけど、マイノリティだからといって滅ぼされていいというのは「おかしい」と、そうは思わないだろうか?
「グロテスクな映画は気持ち悪いからなくした方がいい」「調子に乗っているユーチューバーはどれだけ殴ってもいい」「いじめっ子は足の骨を折って転校させた方がいい」「犯罪者は全員、首の骨をへし折った方がいい」
これらの意見は一見正しいようにも見えるが、やってることはただのイジメや差別と変わりない。
人は一面では語れないし、一方だけを見て結論を出すのは安直だし、別の方面から見たら善性を持っているし、尊重されるべき面もある。
犯罪者だって正しいことをするし、善人だって悪事を犯すのだ。
だから、真に穏やかな社会を望むのならば、他人のズレや過ちを赦すことが肝要なのかもしれない。
ざっくり用語説明。
マジョリティ、社会の多数派。
マイノリティ、社会の少数派。
ルサンチマン、強者に対して抱いている弱者の嫉妬や憎しみの心。
奴隷道徳、仮想の敵を作り強者を妬んだりするようなやつ。他者に依存した価値観。
君主道徳、自分を中心にした価値観みたいなやつ。マイペースな感じ。
コメントをする(URLは不可).