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春と群青のシベリウス(完全に放置、というか墓場)

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 偉大なる音楽の巨匠きょしょう、ジャン・シベリウス。

 そんな彼が至高のヴァイオリニスト、ヴィルトゥオーソとしての夢を捨てたのは二十六の春のことだった。

「時間です」

 上品なスーツで着飾ったヨーロッパ系の若い男性は、舞台袖ぶたいそでにいるわたしたちにだけ聞こえる声量せいりょうで公演の始まりをげる。

「……」

 この瞬間の緊張はいつになってもぬぐえない。

 音楽を始め、はじめてコンクールに出場する少年も、有名な会場で何度も公演を経験した女性も変わらない。

 かの有名な二十世紀を代表する奏者、クリスチャン・フェラスも同様に、その鬱々うつうつとした感情に苦しめられたのだろう……。

 ひとみを閉じ、軽く深呼吸をする。

 三秒。

 きあがる泥のように暗い感情を押し殺し、わたしは目を見開みひらいて歩み始めた。

 インターカムを耳につけたスーツの男性に小さく会釈えしゃくをし、初老しょろうの男性指揮者とともに、光のさし込む場所へと進む。

「……」

 暗く、ひんやりとした舞台袖も一歩抜ければ無数の照明光しょうめいこうと熱。

 そして、わたしたちを待ちわび、立ち上がる奏者そうしゃと観客たちの無数の拍手。

 重いあしを前へと進め、統率奏者とうそつそうしゃであるコンサートマスターと握手をし、定位置についたわたしが観客に向かい礼をすると、拍手はより一層増す。

 無数の視線、無数の人々。

 そんな彼らの大半はわたしと同じ老人だが、中には若い子供もいる。

 夢を追うもの、純粋に音楽を楽しむもの達がそこにいた。

「……」

 指揮者が台にあがると拍手は鳴りやむ。

 アイコンタクトをし、わたしはしおれた細い腕で古びたヴァイオリンを構え、演奏は始まりを迎える。

『シベリウス、ヴァイオリン協奏曲ニ短調、op47』

 第一楽章。この曲は四つに分奏されるヴァイオリンの小さな和音に、主軸となるヴァイオリンが鳴り響き、始まる。

 一度は公演を失敗し、後にブラームスの協奏曲で着想を得て完成したこの曲の導入を作曲者であるシベリウスは「極寒の澄み切った北の空を悠然ゆうぜんと滑空するわしのように」と指示している。

 それはわしのように強く、気高く、自由でありたいと思った彼の思いなのだろう。

 彼がこの楽譜を着想ちゃくそうするまでの人生。そして、これから起こる苦難の人生はわたしに通ずるものがある。

 夏も秋も冬も瞬く間に過ぎ去る春も、そこには音楽があり、思い出があった。

 さあ、歌おう。

 思いをせ、あふれる希望も。強くありたいと思う気持ちも全部込めて、わたしはヴァイオリンを弾く。

 あの頃の、少女だったころの、十代の春の日を……。