アクセライズサマー #2 無料の連載ネット小説・ライトノベル 7000字

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校正校閲なし。

1-1-1

 眩い日の光に照らされる巨大な船舶せんぱくのデッキに潮風が吹き抜けた。
 手にした学校の書類とパンフレットが飛んでいかないようにオレは左手に軽く力を加えて、風が収まるのを待つ。
 吹き抜ける風はそこまで強い勢いではなかったけど、『重しになる何かを持ってこればよかったな』と、少しだけ後悔した。
「ご注文のコーヒーです」
「ああ、ありがとうございます」
 先ほど注文したコーヒーがオレの座るテーブル席に届いた。
 北西産ゲイシャコーヒー。学校に入学するために乗船したフェリーでここまで上等なコーヒーを飲むことができるとは予想もしていなかったぜ。普通に買えば三千円以上もするコーヒーを無料で飲めるとは……。
「…………」
 ……うん、まずいな! 驚くほどに不味い。
 一口コーヒーを口に含んでみたが、どうやらオレの口には合わないみたいだ。
 まるでドブみたいな味。なんでこんなものが三千円以上もするんだ? ぼったくってんじゃねぇのか? いやまあ、無料だからいいか。
「…………」
 ……でもこれ、全部飲むのはきついなぁ。絶対に無理だぞ? この量。
 海に流せばバレないか? いやしかし、バレたら迷惑行為で退学……なんてこともあり得るのか?
 う~ん。かと言って残すのはダサいしなぁ……。
「……ま、後でいいか」
 考えてもコーヒーを処分する方法が思いつかなかったので、オレは手にした書類を開いた。
 書類はデッキに来る前に確認したから、もう読まなくてもいいんだけれど、それ以外にすることが思いつかなかったので『しかたな~く』書類に目を通す。
「え~っと、到着時間は八時で、入学式が九月の十日で……、最初の定期試験が……」
「おい海人! 何見てんだ?」
 デッキの入り口方面から、太い男の声が聞こえた。
 ーーおっ? ユーゴじゃないか! おうおうおう、いいタイミングで来たなぁ! お前が来るのを待っていたぜ! ソフトモヒカンがカッコイイねぇ。クールだねぇ。
 書類を確認しているオレの前に現れた男は、同じ学校出身のクールガイ、ユーゴッド・エンリケスだ。
 身長は百八十センチを超える高身長で、潜水術の能力は圧倒的。三人チームで試合を行うエンデュアスロンの試合をお荷物を一人抱えた状態で勝利に導いたスーパーマンでもある。ちなみに、お荷物ってのはオレのことね。
『よし!』
 ユーゴの登場を好機だと思ったオレは、机の下で小さくガッツポーズを作り、
「学校の書類だよ。……飲むか? コーヒー」と、自然にコーヒーを差し出した。
 ……けれども。
「お前、そんなの読んでるのか? 真面目だな」と答えながら、ユーゴは手で『いらない』のジェスチャーをしてコーヒーを拒絶した。
「…………」……は?
 おい! そんな片手間でオレのコーヒーを拒否するんじゃねぇよ!
 ユーゴにこのクソ不味いコーヒーを飲ませるつもりだったけど、どうやらコイツは全くコーヒーに興味がないらしい。
「そう言わずに飲めよ。これ一杯三千円もするんだぜ?」
 オレはめげずに再度コーヒーを押し付ける。
「三千円? めちゃくちゃ高かいな。お前金欠じゃなかったのか?」
『コーヒーの値段が三千円を超える』ということを話したおかげで、ユーゴはコーヒーに少しだけ興味を持ってくれたみたいだ。
 流石にクールぶっているユーゴくんでも三千円を超える高価なコーヒーには驚きを隠せなかったのか、お目々をまん丸にしてまっすぐオレの顔を見つめている。
 まあ、確かに信じられないよなぁ。たかが一杯のコーヒーが三千円なんて信じられないよなぁ!
「ふふ、無料……なんだぜ? 船のサービスでな」
 オレは人差し指と中指だけをまっすぐに伸ばす敬礼のポーズをして、クールに勝利を宣言する。コイツがコーヒーを飲む未来は確定したも同然だ。
 飲みたくなっただろ? 三千円のコーヒーを飲める機会なんてねぇよなア。お前は自らの意志でオレのコーヒーを求めるはずだ。
「おお、そうか。いいこと聞いたわ。じゃあ後で頼むな」
『……え?』理解できない言葉に志向が一時停止する……。
 ーーーーは! 無料サービスのことを言ったのは悪手か! 調子に乗ってオレは余計なことを言ってしまったらしい!
 冷静に考えれば確かにそうだ。無料ならわざわざオレに分けてもらう必要はない。
 当然だ。考えてみれば当たり前じゃないか! どうして気づかなかったんだ……。
 な、ならば……。
「いや~それは無理だろうな。コイツは一日に十杯しか提供されない希少なコーヒーだから、朝一で注文しないと飲むことはできないぜ? それにもうすぐ八時だからな。頼んでから飲める時間はないと思うぜ?」
 一日十杯は嘘だが、この嘘がバレることはない。なぜなら……。
「飲める時間がない? なんでだよ?」
 ユーゴは不思議そうな表情でオレの顔を覗き込んでくる。
『ハハハ』流石は筆記試験最弱の男、オレの期待通りの表情をしてくれるね!
「お前、ちゃんと書類を見てないのか? 到着時間は八時だぞ? は・ち・じ」
 オレは書類を指さしながらおバカなユーゴくんに教えてやった。どうだ? これが知能の差だ。お前はオレに勝てねぇんだよ、頭脳戦ではなぁ!
 オレは完全に勝利を確信した。
 到着時間が八時であることに対し、現在の時刻は七時三十分……つまり、船内にいられる時間は残り三十分しかないというわけだ!
 今更悠長にコーヒーを頼んでる暇なんてないよなぁ? だから飲むしかねぇよなぁ? オレのコーヒーをよォ……。
「ーー到着時間は夜の八時だぞ?」
「なに?」
「よく見て見ろよ、夜の八時って書いてあるだろ?」
 ユーゴはオレの書類に書かれた日付を親指でさした。今更そんな子供だましにオレが……。
「…………」
 ……夜……八……時……ウン。確かに書類にはそう書いてあるね。なんで気づかなかったんだろ。『到着時間がちょっと早いな~』とは思ってたけど、まさか読み間違えていたとは……。
 ユーゴの言う通り、本当に学校に到着する時間は夜の八時らしい。
「……ありえない…………」と、オレは脱力して、机に頭を打ち付けた。
 勉強のできないユーゴに論破された敗北感と、『コーヒーを飲まなければいけない』という絶望感の二重苦に打ちのめされるオレ。
 …………最悪だ。
「じゃあ、俺は朝飯まだだから下で食ってくるわ」
 ユーゴはオレの気持ちに気づくこともなく、何の含みもなく、そう言いながら背中を向けてこの場を去ろうとする……。そもそも初めから勝負になんてなっていなかったんだ。
 オレの独り相撲……。完全に敗北した気分だよ、ユーゴ……。
 ……だけど、オレのプライドをズタズタに引き裂いて悠然ゆうぜんとこの場を去る……だと?
「おい待てユーゴ! 一口でいいから飲んで行けよ! なぁ、逃げるのか? おい! 敗北者!」
 なりふり構っていられなかったせいか、必要のないことも言ってしまった。
 流石に分かりやすすぎる挑発。こんな安っぽい言葉に乗っかるようなバカはいないだろう。
 最後の悪あがきで言った言葉も間違いなく悪手だ。乗っかってくるわけがない。
「はぁ……」
『もう終わりか』と、オレは半ばあきらめかけていたが、ユーゴはこちら側へと振り返った。
 ……だがもちろん、ユーゴは全くと言っていいほど冷静さを欠いていなかった。いつも使っている『クール』という口癖の通り、ユーゴの感情は冷えている。
「なんでそんなに飲ませようとしてくるんだ? 中に何か入ってるんじゃねぇのか? タバスコとか、デスソースとかが」
「いや、そんなものは……」
 困惑と疑念の混じったユーゴの言葉を受けて、オレの脳内に『忘れ去られた過去の記憶』が電流のように駆け巡った。
「ーーは!」まさかコイツ、前に飲ませたタバスコ入りジュースのことをまだ根に持ってるのか? なるほど、だからオレの善意ぜんいを受け入れようとしなかったのか!
 慎重すぎるユーゴの行動に合点の行ったオレは、
「なにも入ってねぇよ!」と言いながらカップを手に取って、一口だけコーヒーを口に含んで、満面の笑みで潔白けっぱくを証明する。
「うまい!」…………。
 ……まっず~。今どんな顔してるんだ? オレ?
 オレは疑いを晴らすために腹をくくってコーヒーを飲んだが、ユーゴは何も言ってくれない。
「…………」
 ーーおい! ゴミを見るような目でオレを見るな! なんか言ってくれよ!
 せっかく頑張って不味いコーヒーを飲んだというのに、ユーゴがオレのコーヒーを受け取ろうとする気配は一切感じられなかった。
 それどころかユーゴはオレに背中を向けて、足をデッキの入り口へと向ける。
 もうこの場を去って、下へと向かうつもりなのだろう。退出秒読みの動きだ。……こんな結果になるなら、無理して飲むんじゃなかったよ!
「タバスコ入りではないみたいだな。でもいらねぇよ。じゃあーーーー」

1-1-2

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「ーーユーゴ! 先輩!」
 遠くから届いた女の子の声が、別れを告げるユーゴの言葉をかき消した。
 この声の主はーー。
「おう、七葉か。偶然だな」と、走ってきた七葉に向かってユーゴが言った。
 奈波七葉ななみななは……。学年はオレとユーゴの一つ下だが、推薦枠すいせんわくを獲得するために同じチームとして戦った最高のチームメイトだ。ちなみにオレは筆記も実技も全て七葉に劣っている。……オレは負け犬だ。
「偶然じゃないですよ! 二人とも探したんですから」
「探した? どうして?」
「どうしてもなにも、二人と一緒にご飯が食べたくて」
 ……可愛いこと言ってくれるじゃないか、七葉。お前なら飲んでくれるよな、オレのコーヒーをよォ。
 絶望の中で輝く一筋の光……。七葉ァ! お前はオレの太陽だ!
「おい七葉! 飲めよ、オレのコーヒーを!」
「ーーーーは? セクハラですか? キモイんですけど……って言うか先輩、なんでそんな気持ち悪い顔してるんですか?」
 え? どうして!? いきなりひどくない!?
 予想もしていなかった辛辣な言葉を受けて、オレの心臓が『きゅっ』と締め付けられた。
 確かに言い方が少し気持ち悪かったかもしれないけど、そこまで言う?
 オレは後輩に『気持ち悪い顔』と言われたことがショックすぎて、視界が暗く滲む。
 ……つらい……。生きてるのってつらいね……。
 太陽は今も、上へ上へと昇り続けているのに、オレの視界はどんどん暗くなっていく。
 ……もう全て、おしまいだ…………。なにがどうしてこうなった……。
「……せ……ぱい……。……先輩! ブサイクな先輩!」
「ーーはっ!」
「先輩の顔が気持ち悪いんじゃなくて、先輩の表情が気持ち悪かったんです! そこまでブサイクな顔じゃないと思うので、気にしなくていいと思いますよ! 自信持ってください!」
「ありがとう七葉」なにがありがとうかわからないけど……。
 オレは壊れかけた人格を再構成させて、頬を伝うほどの涙を手のひらでぬぐい去って、七葉に『大丈夫だよ』って笑顔を見せる。
 七葉もそんなオレの顔を見て笑顔を返してくれたけど、なんだかその目がゴミを見ているような目に思えてしまって、また少し心が痛んだ。
「ーーで、なんなんです? そのコーヒー。タバスコでも入ってるんですか?」
「いや、タバスコは入ってないみたいなんだけどな。飲むとさっきみたいにブサイクな顔になるみたいだ」と、オレに変わってユーゴが答える。
 ……って言うか、表情でバレてたのね。我慢してたんだけど。
 悲しいことに、オレの全ては見透かされていたらしい。演技部に入るのは無理だな……うん。
「はあ、そういうことですか。なるほど。全部わかりました」
 七葉もユーゴの言葉を聞いて全てを察したのか、ニヤリと笑みをこぼす。
「先輩は貧乏びんぼういやしい性格してますからね、高価なコーヒーが無料で飲めると知ったら飲めなくても頼むんですよ。ミルクと砂糖をいっぱい入れなきゃ飲めないくせにかっこつけるし」
「ーーは、はぁ? コーヒーくらい飲めるが? 飲めるからブラックで頼んだんだが?」
 聞き捨てならない言葉を向けられて、オレはつい挑発に乗ってしまった。
 反発しなければいいのに、言わなくてもいい言葉が口からあふれ出てしまう。
「そうですか。じゃあ、ブラックでも全部飲めますよね」
「ああ、飲めるが? 飲めるに決まっているが?」まずいな。
「じゃあ、飲み終わるまで待ってますね、ここで」
「ああ、待ってろよ!」言っちゃったよ。
 ニヤけている七葉の表情が更に崩れる。……間違いなくオレはハメられた!
「ユーゴは下に行って席を取っておいてください。先輩がブラックで全部飲むまで監視かんししておきますので!」
「わかった……。まあその……、頑張れよ、海人」
 またたく間の一瞬に自体が悪化してしまったらしい。
 そして、オレのことを気にも留めずに下の階へと向かっていくユーゴ。
 お前はそんなに薄情はくじょうな奴だったのか? 分かってるよな? 今オレを救える人間はお前しかいないんだぞ! お前だって分かってるんだよな?
 おい! 行かないでくれよ、ユーゴ……。
 ユーゴォオオオオオオオオオオ!
 左手を上げながら船内に消えていくユーゴ。後ろ姿が凄く、凄く遠くに感じるぜ。
「ユーゴォ……」
 ユーゴの姿が完全に見えなった時点でオレは崩れ落ちた。この世はやっぱり地獄だ。天国なんかじゃない。……オレを救ってくれる人間なんていないんだよ。
「くそぉっ!」
 邪悪な性格をした後輩の手のひら上で踊らされるオレ。最高にかっこ悪いぜ!
「ーーホント、先輩って道化ですよね」
 オレを見下ろしながら『本当のこと』を言う七葉。
 あえて小声で、オレにギリギリ届く程度の声量で言ったのも作戦だろう。
 七葉……、お前の狙いは完全に突き刺さっているぜ。オレの心臓にな……。
「く、くやしい……」
 くやしいけど、オレは無力だ。後輩にバカにされ、たかが一杯のコーヒーすらまともに飲めず、こんなみじめな醜態しゅうたいをさらすなんて……。
 くそぉ、死にたい。死にたくてしかたない。涙が、涙がこぼれてきちゃうよ……。
「うう……。オレは……オレは弱い……。」
 無様に生き恥を晒すくらいなら、このまま海に飛び込んで……。
「はぁ……」と、今にも泣き出しそうなオレを見て、七葉がため息をこぼした。
 あるいは、ユーゴが船内に消えてから数分が経過してもカップに全く手を付けないオレに対して呆れたのかもしれない。
 七葉は机に伏したオレに向かって、後ろ髪を軽くかき上げて言った。
「一口くださいよ」
「え?」
「高いコーヒーなんですよね? 一口くらいなら貰いますよ?」
 ええ? どういう風の吹き回しだ? 気でも狂ったか?
「の、飲んでくれるの? ……じゃなかった。欲しいのかい? いいよ、全部飲んでもいいよ」
 どんな意図で発した言葉かは分からないけど、これは好機だ。飲んでくれるというならありがたい。もう理由なんてなんでもいい。
 オレは七葉にコーヒーを渡した。できることなら全部飲んでくれ。このドブコーヒーを!
「…………」
 七葉はドブ味のコーヒーを手に取って、なんの躊躇ためらいいもなく口にくわえた。あまりにも自然に、当たり前かのようにコーヒーを飲む。
 ……得体のしれない液体を迷いもなく飲むのって凄すぎじゃない? 勇者か?
 オレは七葉の根性に感銘を受けた。
「普通に美味しいですね。豆の香りが華やかな感じがします。それになんて言うか、甘い(?)ですね。ちょっと冷めてますけど」
「……アマイ?」何言ってんだコイツ。適当なこと言ってんじゃねぇーぞ! それともアレか? 『アマイ』と『マズい』を言い間違えたのか? あ?
 流石に頭がおかしいぜ、お前。ーーったく、これだからバカ舌は……
「ーーはい。あとは全部飲んでください」
 七葉は自然にコーヒーカップを差しだしてきて、オレは無意識にそれを受け取ってしまった。
「え?」
 頭の中で色々と考えているすきを突かれしまったのだろう。油断した。
 カップの中に入ったコーヒーを見てみるとほんの少しだけ量が減っていたけど、この量のドブを飲む干すのは少し厳しい。なんとかしてコイツに全部飲ませなければ……。
「ええッ? ナンデ? 全部あげるよ? 美味しかったんだよね?」
 かっこよくイケメンボイスで言おうと思ったら、声が裏返ってしまった。これじゃあ気持ち悪いオタクみたいなセリフだ。
「ええまあ、美味しいとは思いますけど、カフェインをあんまり摂取せっしゅしたくないので」
 は~、そう。なるほど、カフェインね。お肌に悪いっていうもんね。
「いやでもさ、あと一口くらい飲んでも問題はないんじゃない? 大丈夫だよ。みんな飲んでるしさ、……ね? ……ね?」
「気持ち悪いですから! やめてください。押し付けないください」
 無理やりコーヒーを押し付けようと思ったらなんか本気で拒否されてしまった。……悲しいね。またショックで寝込んでしまいそうだ。
「男なら自分で言ったことくらい守ってくださいよ! あと少しじゃないですか。頑張ってください!」
 今さっきの押し付け行為が良くなかったのか、少し七葉を怒らせてしまったらしい。獲物を狩る前の獣のような視線を向けて、オレを威圧している。
 ……どうやらもう、逃げる隙を作ることすらできないようだ。……覚悟を、決めなければならないな…………。
「……とほほ…………」
 オレは七葉に監視かんしされながら、全ての力を注いでドブ味のコーヒーを飲み干した。

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