学習をする際に重要なのは「量よりも質だ」という意見がある。
これは直感的に正しい意見のようにも思えるのだが、そもそも「質」とはいったい何なのだろうか。
・ 質についてドラクエで考えてみる
「最初の森で出現するスライムを大量に倒しても獲得できる経験値は少ない」それよりは、「強力な敵を1体倒す方が得られる経験値は多い」というのは正しいだろう。
とはいえ、それが勉強や読書に適応されるのかは疑問だ。
そもそも「強力な敵を1体倒す(有用な本を1冊読む)」際にかけられるコストのことが考慮されていない。
勇者(読者)のレベルはいったい何レベルなのだろうか。強力な敵を倒す際にかけられる時間はどのくらいなのだろうか。そもそもそのレベルで倒せる敵なのだろうか。
そういう部分を考慮しなければいけない。
「いきなりラストダンジョンの敵に挑んでもレベル1の勇者では勝つことができない」「最初のレベリングはスライムを大量に(機械的に)狩った方が効率がいい」ということだって十分ある。
・ 強い敵を倒して得られる経験値は思いのほか少ない
「経験値」という1点で考えれば、強い敵を倒すことにそれほどのメリットはない。それよりも、経験値効率のいい弱い敵(メタルスライム)を大量に倒す方がレベルを上げるのに向いているのだ。
もしも仮に強い敵を倒す(難しい本を読む)のならば、そこからドロップするアイテム(そこでしか得られない知識)を事前に理解していなければいけない。
そういうドロップ狙いでのみ、「質」というのは重要視される。強力な敵だから倒す、ということ自体に意味はない。
・ 量をこなさなければ効率のいい狩場は見つからない
経験値を効率よく得るためにはメタルスライム(弱くて経験値が多いやつ)を見つけることが重要だ。そのためにはダンジョンの探索と大量の戦闘(エンカウントと逃げることの繰り返し)が必要になる。
これは読書も同じで、経験値効率がいい本を読むためには「とりあえず大量の本を読むしかない」のだ。
つまり、「質とは量の中に隠れている(探さなければ見つけられない)もの」なのである。質を目指すのならば、量をこなすことが必要だ。
なのになぜ、世の中の人間は量を否定するのか。僕からしてみれば「量をこなせないから言い訳をしている」としか思えない。
・ 再読のデメリット
本を再読をすることに関してもいくつかの問題点があって、それは「メタルスライムが一番経験値効率の良い敵」と勘違いをしてしまうことだ。
当然、再読には価値がある。1度読むよりも2度読む方が価値がある。下手な・価値のない本を大量に読むよりは、価値のある本を繰り返し読んだ方がメリットはあるだろう。
とはいえ、世の中には「はぐれメタル」だとか、「メタルキング」みたいなより経験値効率の良い敵が存在したりするのだ。
そいつらを見つけるためには探索が必要になる。量をこなすしかないのだ。
・ やはり重要なのは時間
結局、勇者のレベルを上げるためにはプレイ時間を増やすしかない。
「スライムを倒すことに意味はない(雑に量をこなすことに意味はない)」という意見は一見正しいことのようにも思えるが、最初の森にいるスライムだけを狩っても(膨大な時間をかければ)レベルを99にすることは可能だろう。
勉強や読書で重要なのは「自分に適したレベリングとプレイ時間」である。
なので、量をこなそう。時間をかけよう。
とりあえず突っ走ってから質を見つけるしかない。
勉強や読書で重要なのは(定義が曖昧な)量でも質でもなく「時間」だ。
時間だけは絶対に嘘をつかない。
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